アヴァンギャルド・チャイナ、行ってきました!

こんにちは、くんしです。


六本木の国立新美術館で、8月20日(水)から開催されている「アヴァンギャルド・チャイナ−<中国当代美術>二十年−」展、行ってきました〜。


くんしにとっては、なかなか衝撃的な、内容でした(**)。


ちょうど昨日「現代アートの楽しみ方」として、ジャパンファウンデーションの若手職員の対話をご紹介しましたが、試しに少〜しレポートしてみたいと思います。


チラシはこちら。


この展覧会に行こうと思ったのも、表紙にあるこの絵がきっかけ。

なんというか、とても表情が生き生きとしていて、「目の中に空がある☆」気がします。

でも「右端の人は何だろう」とか、「真ん中の男性が少しヤラしい目をしているが…」とか、シチュエーションを考えれば考えるほど、分からなくなります。時間帯は、夕方の空っぽい感じでしょうか。



くんしは現代アートについては全くの素人なのですが、休日に美術館に出かけるのは好きな方です。特に少しずつ木々の葉が色づいてくる秋になると、ついふら〜と出かけたくなってしまいます。
美術展に行って感じることは、きっと人によってさまざまだと思いますが、私は何か心がざわざわとする不思議な感覚を得て帰ってきました。感じたことを少し言葉にしてみると・・・


■社会への抵抗としてのアート
社会、権力への抵抗としてのアートというものを、久々に目の当たりにした気がします。そういえば、ここ最近こういうものを見ていなかったような・・・。


■意味を問うているのか、無意味を問うているのか!?
ひたすら身体をかく映像が、いくつものカメラから映し出される。「池の水位を上げる」というタイトルで、上半身裸でこちらをみつめる何人もの男性。老人や子どもや青年。池の色も緑色に濁っていて、虫も飛び交うような環境の中、動かずにこちらを凝視する人々。全身裸で魚を料理する美しい男性。ときに、目を背けたくなるようなものもありましたが、何かが確実に心に突きつけられます。


■既成概念への問いかけ
「私は死にます」という言葉を発する各国の人々。その言葉を口にする瞬間、その人の目の色が少し変わる気がする。ジムによくあるマシンが、誰も人のいないところでただ動き続ける。虚しく哀しいけれど、その虚しさは人間に跳ね返ってくるような・・・。「老人ホーム」と題された作品では、本物の人間とも見まごうロボットが、電動車椅子に乗って部屋中を動き続けている。ふとした瞬間に目が合い、こちらに向かってくる。そのときの何とも言えない恐怖感。


アートはその社会の歴史的な背景も写しますよね。
くんしはこの展覧会に参加することで、メディアで頻繁に取り上げられる急速な発展を続ける中国社会の、またちがった顔を知ることができたような気がしました。

皆様はどんなことを感じてこられる(れた)のでしょうか(?o?)。



以下は、国立新美術館が出しているガイドブック「アートのとびらvol.3」からの引用です。

アバンギャルド・チャイナ、つまり古いルールにしばられない、新しく自由な中国アートは、激動する中国の現代社会から生まれました。
中華人民共和国が誕生してから59年がたちます。その間、様々な出来事や動乱があり、中国の政治や経済、国民生活は大きく変化してきました。
社会がゆれ動き、ときに表現活動を制限される中、それでも中国の芸術家たちは新しい表現に挑戦してきました。
国家権力にも社会不安にも負けじと生み出されたそのアートは、まさにアヴァンギャルド
社会主義国家、人口13億人、急速な経済成長…。
2008年、オリンピックでもり上がる中国は、いろいろな顔を持った複雑で巨大な国です。
そんな中国だからこそ、生まれてきたアートがあります。


実は開期も終盤にさしかかっています。

10月20日まで@新国立美術館

今週末も秋晴れとのこと。お出かけになってみられてはいかがでしょうか^^b。国立新美術館も、周囲を散歩するだけでも素敵なところです!!