【その1】ベトナムの芸術界をリードする 若手精鋭10名が初来日。 

 こんにちは。Mです。

 さて、国際交流基金では、設立当初より世界中の文化人を日本に招へいするというプログラムを実施しています。


 で、今回はなんと!!!

 ベトナムから若手の芸術関係者10名を一度に招へいする*1、という豪華プログラム。


写真は、3331 Arts Chiyodaで中村政人氏を訪れたときの様子。10名もいると、集って話すだけでも圧巻!

(c)Kenichi Aikawa


  信濃町のとあるレストランでお別れパーティがあり、途中で詩を詠む人あり、歌を歌う人あり、なぞかけ(後でご紹介します)あり、とってもリラックスした会でいろんなお話を伺うことができましたので、その一部をご紹介します。


ちなみに全員のプロフィールは、こちらのプレスリリースから見ていただけます。

 

♡♡♡♡♡♡

(今回登場するお二人)

「フイさん」  グエン ニュー フイ(Nguyễn Như Huy)
キュレーター/詩人/芸術評論家
1997年にホーチミン市芸術大学を卒業後アーティストとして活動を開始。現在はホーチミン市を中心に海外においても若手芸術家によるグループ展やプロジェクトを企画。海外に向けてのベトナム現代アートの批評の発信のみならず、現代アートに関する海外批評の書籍をベトナム語に翻訳するなど精力的に活動している。また、ドクメンタ12マガジンプロジェクトの公式ベトナムオンラインマガジンである、 文学芸術専門サイトtalawas.org  http://www.talawas.org/ でもコラム執筆中。

(c)Kenichi Aikawa

「サムさん」 チャン フエン サム(Trần Huyền Sâm)
文芸評論家/研究者
古都フエ市を中心に多くの大学で教鞭をとる傍ら、文芸評論を行っている。研究分野は詩法、ノンフィクション文学など。2003年にはフエ作家協会の「詩人の声」賞を受賞。2008年にはSong Huong誌で優秀若手研究者賞を受賞。

(c)Kenichi Aikawa


−フィさん、日本で一番印象に残ったことについて教えてください。



(フイ)広島が一番印象に残りました。広島平和記念資料館被爆者の方の話が、言葉にすることが出来ないくらい印象に残っています。もちろん、原爆は世界的にも有名で知識としては知っていましたが、直接訪れることができていろいろと再確認できました。



これまでは単に戦争の悲劇としか捉えていなくて、第三者的な視点で眺めているところがあったと思うんですが、今回訪問して、これには自分も含まれている、これは人類共通の悲劇だ、自分自身のことだ、と体で感じることができたんです。



Mさんは、広島に行ったことがありますか?どんな印象でしたか?



−12歳くらいのときに初めて行きました。当時すごくインパクトを受けたことを覚えています。慰霊碑にかかれた言葉はご覧になりましたでしょうか?「過ちを繰り返さない」という言葉に論争が当時あったと聞いたことがありますが、人類共通の悲劇を繰り返さないという思いは、私もですが日本人の平和に対する考え方に影響を与えていると思います。



(フイ)そして、もしかすると芸術のことを、ここで語るのは違うのかもしれないんですが、同時に、公園や資料館は戦争の悲劇を伝えるだけでなく、美しいものへ人を導くように作られているように思ったんです。広島で私は芸術の原点を見つけたようにも感じました。1945年以降の日本の戦後のアートの潮流を考えたときに、日本の芸術家は意識していたかどうかわかりませんが、広島の体験が心理的な影響を与えて、芸術的なムーブメントの原点になっていたんじゃないか、そんなことも考えました。



被爆者の方のお話も聞かれたんですよね?最近は皆さん高齢化が進んで語る方も少なくなっていると聞いたことがありますが・・・。



(フイ)それは問題ですね。今回日本の色々なところを訪問して、どこも綺麗だったんですけど、なんとなく自分との距離を意識せざるを得なかったんです。綺麗なんだけど、直接触れることができないというか踏み込むことが許されないような感覚というか。一方で被爆者の方のお話は、まったく距離を感じず、直接心に響き本当に感動しました。広島での感動について語るには一日では足りないくらいです。これから体験を直接伝える人が少なくなっていくなかで、どうやって後世に伝えていくかはこれからの課題になるのでしょうね。




−サムさんはいかがですか?




 (サム)私は距離感、というところは特に感じなかったです。例えば、日本のお寺などの建築物はとても立派ですが、ヨーロッパの建物に比べると天井も低くて、逆に身近に感じました。
桜がとっても綺麗で印象に残りましたが、フィさんの言った「距離」というのは、信仰に近い気持ちなんじゃないかと、私は思います。それに触ると失礼に当たるんじゃないかというようなそんな気持ちでしょうか。京都の白川で桜のライトアップを見たのですが、私は心が浄化されるというか、カタルシスを感じたといいますか・・・。




−桜ように自然に対して信仰に似た気持ちを感じるというのは、日本人的感覚に近いかもしれないですね。


まだまだ、まだまだ続きます・・・・。

*1:■来日期間 2010年 3月 28日(日)〜 4月 7日(水)