国際交流の舞台裏〜Vol.2 :試験課Iさんの場合〜


みなさん、お待たせしました!!職員採用の季節とあわせて、職員の生の声をみなさまにお届けするこのブログ企画、第2弾をお届けします☆!*1先日2月23日(金)にはついに第1回目の会社説明会を行いました。満員で会場に来られなかった皆さんにも参考になるような記事になれたらと思います。


今回ご紹介するのは平成19年度で4年目、ただいま日本語事業部試験課で活躍されている、晴の日は自転車通勤、牛乳大好きなIさんです!


<Iさんのデスク周辺、このブログの下書きを確認しています。>

まずは略歴から〜

===========略歴======================
1994年 4月 町会青年部(後述)入部
1997年 4月 文学部入学
         社会学を専攻する予定も、高校で国文法好きだった身には
         一般教養の日本語学の講義があまりにも面白く、
日本語学・言語学系を中心に軌道修正
1998年 3月 友人にいざなわれマレイシア初渡航。以後年々渡航回数が増加
2001年 3月 学部卒
2004年 3月 修士了(東南アジア政治。修士論文はマレイシアの言語政策について)
     4月 国際交流基金入社 経理部会計課配属
2006年 4月 日本語事業部試験課に配置換
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基金への就職に至るまで
 学部時代に日本語教育に関係することを勉強するなかで、国際交流基金の存在を、『日本語初歩』『日本語中級』といった教材を制作したり*2日本語能力試験を主催したりするなどして日本語教育を推進している政府関連団体、として認識するようになりました。ある晩、都内の駅で泥酔していた韓国人日本語教師二人組に道を聞かれ、二人の研修先だった国際交流基金日本語国際センター最寄りの北浦和駅まで送っていったことがある、という逸話もあります。


 修士課程では、その頃までに関心分野の重心の変化があり、マレイシアへの興味を背景に東南アジア政治のゼミに入りましたが、1年目も終わりに近づいた頃、ようやく修了後の進路を考え始めました。もともと修了後は少なくとも一旦は就職するつもりではあったのですが、関心分野の変遷に象徴されるように、自分は一つのことを学問として徹底的に極める種類の人間ではなく、それよりもある程度の専門性を背景に仕事をするほうがふさわしいのではと思い、真剣に就職を考えるようになりました。


 学部時代の経験を踏まえた日本語事業への関心や、修士課程での異文化社会研究の経験、そして後述するような町内活動における日本文化実践(大げさな言い方ですが)の経験を総合的に生かせそうな職場、そしてマレイシアへの転勤の可能性のある職場として国際交流基金が頭の中に再登場してからは他の会社への就職は全く考えられなくなり、実際他社の就職試験は一切受けませんでした。いわゆる就職サイトも利用したことがありません。無事採用されてただただありがたい限りです。


基金での仕事について 
 入社試験の面接時に、高校時代から町内活動(町会の青年部。祭礼、ラジオ体操、餅つき、火の用心などといった町内行事を年配の町会役員と協力して運営する。)に従事していること、当時そこで会計を担当していることに言及し、「会計という役は、金勘定をしていればよいのではなく、1年の中でいつどういう行事があり、どういうものを準備しなければならないかを常によく把握している必要があることを身に染みて感じた」という感じのことを言った記憶があるのですが、そうしたら最初の配属先は経理部会計課でした。


 実際、金勘定ではなく「財産管理」をまず担当することになりました。職員宿舎と呼ばれる社宅のような大きなものの契約・維持に関することから、事務消耗品の予算管理に至るまで幅広い業務を担当しました。他に「契約審査」の一部も担当しました。業務遂行にあたって結ぼうとしている契約の内容や手続き、また数字等に問題がないかどうか、書類を審査する業務ですが、さすがに入社まもない新人には無理な話ですので、比較的定型的な(職員や外部専門家の出張、派遣等の)旅費の支出・精算の審査のみ担当しました。自分自身旅行好きかつ旅行計画好きで、出張旅費計算の書類とほとんど同じ内容のものを普段から自分で旅行前に作ったり、旅行後にレシートを並べて(旅の思い出に浸りながら)かかった費用の確認をしたりしていたので、これは個人的には実に楽しい業務でした。


 次に「出納」の担当になりましたが、これは専門家、外部業者、海外事務所等への金銭の支払い手続きやそのスケジュール管理が主な業務です。会社柄海外送金も多く、イレギュラーな事態も間々発生するので、毎日銀行の担当者とのやり取りが続きます。



<2006年12月3日に実施された日本語能力試験の様子>

 全体的に会計課の仕事も嫌いではなく、人間環境も非常に居心地のよい部署だったのですが、ちょうど2年で当初からの希望部署である日本語事業部に異動し、試験課に配属になりました。試験課は、(日本語を母語としない人のための)公的な一般向け日本語試験として唯一最大である「日本語能力試験*3の海外における実施を担当しており、年に1回の試験に向け、段階を追って必要な資材を手配して世界各地の実施機関に送付しつつ全体を統括したり、試験実施に関する方針を決めていく専門家の会議を運営したりするのが主な業務です。会計課で私が担当していた業務は月に6回ある支払日を基準に5日単位で仕事が回っていましたが、試験課では1年単位で仕事が回っているという点で大きな違いを感じました。さらに、日本語能力試験の改定に向け、数年単位の仕事も進んでいます。また、事業部門の他の部署では各担当者がそれぞれ個々のプロジェクトを担当する、というスタイルが多いですが、各担当者で仕事を分担しつつ課全体が1つのプロジェクトに向けて進んでいるという点は、試験課の特徴です。(横浜トリエンナーレを運営しているトリエンナーレ準備室なども同様かと思いますが。)現在は、異動後初めての試験も終わり、ほっとする間もなく早速2周目に突入したところです。

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Iさん、ありがとうございました。
管理部門での業務内容などはあまり想像できないことも多いので、具体的な様子を知れて潮風も参考になりました。
ちなみに試験課は今後、新たに「試験センター」として日本語能力試験の改定など、業務を拡充させていこうと検討中です!!

では、そんなIさんの試験1ヶ月前のとある1日の様子はこんな感じだったそうです。

*1:バックナンバー⇒国際交流の舞台裏〜Vol.1 海外事務所で働く醍醐味:堀川さんの場合〜
毎日就職ナビにも職員の声が載っています

*2:潮風より:『エリンが挑戦!にほんごできます』関連でもご紹介している、日本語国際センター制作事業課の事業のことです。

*3:潮風より:2006年は12月3日に実施され、ブログでも関係者皆さんの声をご紹介しましたー
  世界につながる日本語学習者の輪(学生編)
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