めかぶ?


今日はまず雑談を2つばかり。


日常、なかなか語学を勉強する時間がとれないとき
僕は柴田元幸編・訳『ナイン・インタビューズ』
を繰り返し聴いています*1


このなかで何度か登場する単語に


machabre


というものがあります。もともとフランス語から入って
来た言葉らしく、「気味の悪い」「ぞっとする」くらいの
意味。「マカーブ」と発音するみたいです。


くだらないんですが僕はこの単語を耳にするたびに
めかぶ」という食べ物を思い浮かべていました。
だじゃれです。すみません。


所変わって、先日。
いつも行くお蕎麦屋さんで「冷やしめかぶそば」なる
メニューを発見しました。はす向かいのお客さんが
注文していたんです。


そのとき突然、「めかぶ」ってどんなものだっけ?という疑問が
頭に浮かびました。「めかぶ」という言葉は知っている。
見たこともある。食べたこともある(はず)。なのに、
イメージが浮かばないんです。「冷やしめかぶそば」は
一押しメニューらしくお店の壁にはポスターまで貼ってあるんですが、
はっきりとは写っておらず、茶色い(黒い?)かたまりにしか見えない。
普段から「machabre」と「めかぶ」が結びついていて
何度も頭の中に登場していたことばなのにイメージが浮かばないんです。


単なるど忘れとも違う。こうして書いてみると、
つまらないことに呻吟しているものだと呆れますが、
食事を終えたあとも考え続けてしまいました。


どうしてこんなことを書いているかと言いますと、
日常の中で何気なく通り過ぎていることが実に多いなぁという思いが
最近強くなっていていたからなんです。


例えば、食事の数時間前に読んでいた『群像』(2008年10月号)
高橋源一郎町田康の対談にこんなくだりがありました。
これを読んで皆さん、どう思いますか?

高橋:よく考えると、ふだん我々は生きているとき、集中してはいませんね。
町田:思い切り気が散っています(笑)。
高橋:自分ではいつも真剣に生きているような気がしているけれども、
   実はほとんど何も考えないでぼーっとしている。
町田:ええ。ほとんどはノイズとして捨てていますから。
(中略)
高橋:小説は何のために存在するのか、という問いにはいろんな答え方ができる
   と思うんですけれども、「緊張感を持って現実を見てもらうため」という
   言い方が一番しっくりするような気がします。…

(「次なる宿屋」をめざして、『群像』2008年10月号、講談社p.93)


高橋さんは「小説の存在意義」(芸術の存在意義*2)を
「緊張感を持って現実を見てもらう」ことだと言います。
これは裏を返せば、普通の人は日常のなかで周囲の現実を仔細に見、
深く考えることが如何に難しいかということを示唆しています*3
僕はこれがすごく恐いことだと思うのです。


「めかぶ」くらいのことなら、別に支障はありませんが、
たとえば括弧に入るのがユダヤ*4なら、イスラーム*5だったらどうでしょうか?
ユダヤ人」や「イスラーム」のことをちゃんとイメージできない、
あるいはイメージできないことを意識しないまま勝手な放言をすることってありませんか?
開き直るわけではありませんが、僕は身に覚えがあります。


村上春樹さんの小説『海辺のカフカ』のなかで、性同一性障害を抱え、
医学的には女性でありながらゲイである大島さんのせりふに、


すべては想像力の問題だ」「ぼくが最も恐れるのは『うつろな人々』だ


というものがあったことを強く覚えています。
このことが僕のなかでジャパンファウンデーションでの仕事とどう繋がっていくのか、
まだ具体的にはイメージできていなのですが、根底の部分で重要になってくるのでは
ないかと思い書き留めた次第です。

*1:今年度のジャパンファウンデーション文化人招へい事業では『僕はマゼランと旅した』『シカゴ育ち』でお馴染み、スチュアート・ダイベックさんが来日される予定です。

*2:例:現在開催中の「横浜トリエンナーレ2008」総合ディレクター、水沢勉氏が語る全体テーマとは…

*3:例:今週発売の『週刊現代』のなかの高橋さんのコラム『おじさんは白馬に乗って』で紹介されている真木蔵人さんが異彩を放っているのはそのためだと思われます。

*4:例:内田樹『私家版 ユダヤ文化論』(文芸春秋、2006年)

*5:例:小川忠『テロと救済の原理主義』(新潮選書、2007年)