「多文化共生」フォーラムについての反応をありがとうございます!


みなさんこんにちは、オレペコです。
今日は、以前三富さんが紹介していた 「オーストラリアの多文化共生を考える」 フォーラム

に参加された方々がいろんな感想を書いてくださっているのでほんの少しですがご紹介したいと思います。というのも、今週土曜日(1月27日)に 名古屋 で関連シンポジウム 多文化共生〜オーストラリアから学ぶ が実施されるからですっ!

まずは吉富さんのブログから。

オーストラリアは白豪主義から多文化主義へ転身し、多くの移民を積極的に受け入れ、移民政策もかなり先駆的で、私も注目している国のひとつ。
そのオーストラリアから、移民政策、移民の教育、移民サービスなどの 分野のキーパーソンが勢揃い。(中略)これはもうわざわざ東京まで行く価値ありと、参加した。

吉富さん以外にも、きっと東京以外の地域から駆けつけてくださった方もたくさんいらっしゃったことでしょう。ありがとうございます! m(._.)m

きれいごとに見える「共生」と言う言葉に対して私がこれまで何か腑に落ちないものを感じていたものを、うまく整理してくれた。


心ある人たちは自分より弱い者には優しくできるのに、その対象者が力をつけて競争相手になって自分の立場を脅かすようになったとたん、排除しようとする。
群馬県大泉町でも、ブラジル人が2000人までは地域住民とうまくいったのに、6000人になった今、地域との壁が見える。

同じ社会で平等に暮らすと言うことは、そもそも競争のための同じスタートラインにたってこそ実現できること。
どんな人も頑張れば認めてもらえる社会とは、みんなが頑張って、よい意味で競争する社会。
そのことをしっかりと見据えて、覚悟して、多文化社会を考え、時間をかけてひとりひとりがしっかりと納得していくプロセスを大切にし、決して法律でむりやり変えることが目的ではない。

このように感想をのべてくださった吉富さんのこの日の日記のタイトルは、 

「共生」は「競生」の始まりで「強制」するべからず。 
以上、とみちゃんのラテンな日々

うーん。考えさせられます。
同じ部分に強い印象を受けた方が他にも(koalanokuniさん)。

「きょうせい」には、共生(相互理解・補完的協力)と競生(機会平等・自由競争)の二つの側面があるという関根政美先生のお話が印象的でした。
コアラの国で寮生活

「多文化共生」のプラス面、つまり耳障りの良い面ばかりが強調されがちな傾向に対する危惧を抱いている方はこちらにも。

市民向けの簡単な異文化理解講座かと思いきや、学術価値の高いもので、びっくりした。
日本の多文化主義の捉え方の水準が、まだまだ低いなと再認識した。
Paradigm Party

プラス面もマイナス面も見据えた上でじっくりと考えていく・・・そんな機会を提供できたのなら、主催した私たちとしても大変うれしく思います。
・・・ということで、今度は名古屋に場所を移して、この問題を考えてみたいと思います。まだ若干座席に余裕があるようですので、ビビッときた方はぜひこちらからお申し込みください! ダッシュ!−=≡ヘ(* - -)ノ


なお、フォーラム当日の様子や来日しているパネリストの方々の日本滞在中の様子などについても近々このブログでご報告する予定ですのでお楽しみに!